宮沢りえさんと貴乃花さんは、1992年に婚約を発表しました。
当時の宮沢りえさんは19歳。貴乃花さんは20歳でした。
国民的女優と角界のプリンスの婚約は、「世紀の婚約」と呼ばれ、日本中が大きく注目しました。
しかし、2人は婚約発表からわずか約2か月後の1993年1月に婚約を解消しています。
なぜ、あれほど祝福された2人は別れることになったのでしょうか。
破局理由は、単純な心変わりだけでは語れません。
宮沢りえさんが芸能界を続けるのか、相撲部屋の女将になるのか。りえママと呼ばれた母・宮沢光子さんの存在。花田家や相撲界との考え方の違い。
若すぎた2人の気持ちだけでは越えられない問題が、婚約会見の時点ですでに見え始めていました。
宮沢りえと貴乃花はなぜ別れた?
宮沢りえさんと貴乃花さんが別れた理由は、1つに断定できません。
表向きには、気持ちが通わなくなったことや、愛情の変化が語られました。
貴乃花さんは婚約解消時に「愛情がなくなった」という趣旨の発言をしたことで、大きな批判を受けました。
ただ、この言葉だけを破局理由として受け取ると、かなり浅くなります。
2人の婚約には、最初から大きな問題がありました。
宮沢りえさんは人気絶頂の女優で、貴乃花さんは将来の横綱候補として期待される力士でした。
どちらも本人だけで人生を決められる立場ではありません。
宮沢りえさんの芸能活動、相撲部屋の女将としての役割、母・りえママの意向、花田家や後援会の考え。
そうした問題が整理されないまま、婚約だけが先に進んでしまいました。
つまり、宮沢りえさんと貴乃花さんの破局は、若い2人の恋愛が冷めたというより、結婚後の現実を話し合いきれなかった結果と見る方が自然です。
破局理由の中心は芸能界引退と女将業の問題
宮沢りえさんと貴乃花さんの破局理由で大きかったのは、結婚後の生活です。
宮沢りえさんは、当時すでにトップ女優でした。
1980年代後半からCM、映画、ドラマ、歌手活動で大きな人気を集め、1991年には写真集『Santa Fe』でも社会現象を起こしています。
一方の貴乃花さんは、相撲界の中心になると期待された存在です。
力士の妻、とくに将来の親方夫人となる女性には、部屋を支える女将としての役割が求められます。
問題は、宮沢りえさんが結婚後も芸能活動を続けるのか、それとも芸能界を引退し、相撲部屋を支える立場に入るのかでした。
婚約会見でも、宮沢りえさんは仕事を続けるかどうかについて、はっきりとした答えを出していません。
本人にとっても、簡単に決められる問題ではなかったのでしょう。
19歳で人気絶頂の女優をやめ、相撲界というまったく違う世界に入る。
それは恋愛感情だけで決められることではありませんでした。
宮沢りえと貴乃花の馴れ初め
宮沢りえさんと貴乃花さんの出会いは、1990年元日付のスポーツ紙の対談だったとされています。
当時の宮沢りえさんは、若くして芸能界のトップに立っていた女優です。
貴乃花さんも、若くして角界のスターとして注目されていました。
ただ、この対談ですぐに交際へ発展したわけではありません。
本格的に交際が始まったのは、婚約発表の少し前といわれています。
交際から婚約までの期間は非常に短く、スピード婚約でした。
貴乃花さんが電話でプロポーズし、宮沢りえさんが受け入れたという話もあります。
若い2人にとっては、それほど気持ちが盛り上がっていたのでしょう。
しかし、交際期間が短かったことは、後の破局にもつながったと考えられます。
恋愛感情はあっても、結婚後の生活、仕事、家族、相撲界との関係まで詰める時間はありませんでした。
宮沢りえと貴乃花は1992年に婚約会見を開いた
宮沢りえさんと貴乃花さんは、1992年11月27日に婚約会見を開きました。
当時、貴乃花さんは20歳。
宮沢りえさんは19歳でした。
2人はサーモンピンクの着物姿で会見に臨み、手をつないで登場しました。
大物同士の婚約ということもあり、世間は大きく盛り上がりました。
会見では、2人とも幸せそうな表情を見せています。
貴乃花さんは「やっとこの日がきた」という趣旨の言葉を語り、宮沢りえさんも婚約の実感がわいてきたと話していました。
指輪について聞かれた宮沢りえさんが、照れながら左手を見せる場面もありました。
貴乃花さんが選んだ指輪について、宮沢りえさんは「どんな億万長者にも買えないような指輪」という趣旨の言葉を返しています。
この時点だけを見ると、2人はまさに幸せの真ん中にいました。
しかし、会見の中では、後の破局を思わせる場面もありました。
婚約会見ではすでに不安が見えていた
宮沢りえさんと貴乃花さんの婚約会見は、祝福ムードに包まれていました。
ただ、将来の生活に関する質問になると、2人の雰囲気は少し変わっていきます。
新居について聞かれたとき、宮沢りえさんは「これから相談して決める」という趣旨の答えをしています。
一方で、貴乃花さんは何かを言いかけたものの、2人の視線はうまく合っていませんでした。
どんな家庭を築きたいかという質問でも、貴乃花さんは「2人の気持ちを大事にしたい」という趣旨の言葉を話しました。
しかし、宮沢りえさんの反応は強くありませんでした。
恋愛中の話になると明るくなる2人が、将来や生活の話になると表情を変える。
ここに、婚約の危うさが出ていました。
2人はお互いに好意を持っていたはずです。
しかし、恋愛としての幸せと、結婚後の生活設計は別の問題でした。
婚約会見の時点で、そのズレはすでに見え始めていました。
宮沢りえは芸能界を引退するのか決めきれていなかった
宮沢りえさんと貴乃花さんの婚約で最大の問題になったのが、宮沢りえさんの芸能活動です。
貴乃花さんと結婚すれば、将来的に相撲部屋を支える女将になる可能性があります。
その場合、女優業を続けるのは難しいと考えられていました。
しかし、宮沢りえさんは当時19歳。
芸能界で圧倒的な人気を持ち、女優としてもタレントとしても大きな価値を持つ存在でした。
本人にとっても、芸能活動をやめるかどうかは簡単に決められる話ではありません。
婚約会見で仕事を続けるかどうかを聞かれた際、宮沢りえさんは明確な答えを避けています。
相談しながら決めたい、挙式までに考えたいという姿勢でした。
この答えは、宮沢りえさんの中でまだ迷いがあったことを示しています。
一方、相撲界や花田家側には、結婚後は女将として相撲部屋を支えるべきだという考えがあったとみられます。
宮沢りえさんが女優を続けたいのか。
相撲界がそれを受け入れられるのか。
りえママが娘の引退を認めるのか。
その答えが出ないまま、婚約だけが先に進んでしまいました。
りえママが婚約破棄に影響したという説
宮沢りえさんと貴乃花さんの破局では、りえママの存在も大きく語られています。
りえママとは、宮沢りえさんの母・宮沢光子さんのことです。
宮沢りえさんの芸能活動を強く支え、マネージャー的な役割も担っていた人物でした。
宮沢りえさんと母の関係は非常に強く、「一卵性母娘」と表現されることもあります。
宮沢りえさんが芸能界で成功するうえで、りえママの存在は大きなものでした。
そのため、宮沢りえさんが貴乃花さんと結婚し、芸能界を離れることになれば、りえママにとっても大きな変化になります。
娘を相撲界に送り出すこと。
女優としての宮沢りえさんの未来を止めること。
自分の手元から娘が離れていくこと。
りえママにとって、すべてが簡単に受け入れられる話ではなかったはずです。
破局理由として、りえママが婚約に反対したという説が語られるのはこのためです。
ただし、りえママだけが2人を別れさせたと断定するのは単純すぎます。
実際には、宮沢りえさん本人の迷い、相撲界側の考え、花田家との関係、仕事の問題が重なっていました。
花田家とりえママの確執説
宮沢りえさんと貴乃花さんの婚約では、花田家とりえママの確執説も語られています。
貴乃花さんは、相撲界の名門である花田家の一員でした。
父は藤島親方、母は藤田紀子さんです。
貴乃花さんの結婚は、本人だけの問題ではありません。
花田家、相撲部屋、後援会、角界全体の期待が関わっていました。
一方の宮沢りえさん側にも、りえママという強い存在がいました。
宮沢りえさんを芸能界で育て、仕事を管理し、娘と二人三脚で歩いてきた母です。
この2つの家の考え方が、簡単に合うはずはありません。
花田家側からすれば、宮沢りえさんには相撲部屋を支える覚悟を求めたでしょう。
りえママ側からすれば、19歳の娘を人気絶頂のまま相撲界に入れることに不安を覚えたはずです。
さらに、芸能界と相撲界では、家族や仕事に対する価値観も違います。
表に立ち続ける女優と、部屋を支える女将。
この2つの役割を同時に成り立たせるのは、当時の空気ではかなり難しかったのでしょう。
貴乃花の「愛情がなくなった」発言
婚約解消時、貴乃花さんは「愛情がなくなった」という趣旨の発言をしたことで話題になりました。
この言葉だけを見ると、貴乃花さんが一方的に気持ちを失ったように聞こえます。
そのため、当時は無責任だという批判もありました。
ただ、実際には貴乃花さんなりに、破局を自分の責任として引き受けようとした可能性もあります。
貴乃花さんはもともと、言葉足らずに見られやすい人物です。
本当は、宮沢りえさんを嫌いになったというより、結婚への壁を自分の愛情だけでは越えられなくなったという意味だったのかもしれません。
宮沢りえさん側も、婚約解消について「話し合う時間が欲しかった」という趣旨の言葉を残しています。
これは、2人の気持ちだけではなく、周囲との調整や生活設計が足りなかったことを示しています。
「愛情がなくなった」という一言は強烈でした。
しかし、その裏には、若い2人だけでは抱えきれない現実があったのでしょう。
宮沢りえと貴乃花は当時何歳だった?
宮沢りえさんと貴乃花さんが婚約した当時、宮沢りえさんは19歳でした。
貴乃花さんは20歳です。
今の感覚で見ると、かなり若い婚約です。
しかも、ただの若い男女ではありません。
宮沢りえさんは国民的な人気を持つ女優。
貴乃花さんは相撲界の未来を背負う力士。
2人の結婚は、本人たちだけの恋愛では済まない大きな出来事でした。
19歳と20歳で、自分の気持ちだけでなく、家族、仕事、相撲界、芸能界、世間の期待まで背負う。
それはあまりにも重すぎます。
婚約会見では幸せそうに見えた2人ですが、結婚後の生活を現実として考え始めたとき、若さだけでは乗り越えられない壁が見えてきたのでしょう。
宮沢りえと貴乃花の婚約破棄は約2か月後だった
宮沢りえさんと貴乃花さんは、1992年11月27日に婚約会見を開きました。
そして1993年1月27日に婚約解消を発表しています。
婚約会見から約2か月後の破局でした。
あまりにも早い婚約解消だったため、世間には大きな衝撃が走りました。
婚約会見では手をつなぎ、幸せそうに語っていた2人が、わずか数か月で別々に会見を開いて別れを報告する。
この落差が大きかったからこそ、今でも語り継がれています。
ただ、婚約から破局までが短かったのは、最初から問題がなかったからではありません。
むしろ、婚約してから現実の問題が一気に表に出てきたのでしょう。
結婚後の仕事、住まい、相撲部屋との関係、親の考え。
そうした話を詰めていくほど、2人の間にあった不安が大きくなっていったと考えられます。
宮沢りえと貴乃花の破局が今も語られる理由
宮沢りえさんと貴乃花さんの破局が今も語られる理由は、単なる芸能人の恋愛ではなかったからです。
当時の宮沢りえさんは、国民的な人気を持つ若手女優でした。
貴乃花さんは、相撲界の未来を背負う存在でした。
そんな2人が婚約し、わずか約2か月で破局した。
それだけでも十分に大きな出来事です。
さらに、この破局には、芸能界引退、相撲部屋の女将、りえママ、花田家、若すぎた2人という複数の問題が重なっていました。
どれか1つだけが原因ではなく、いくつもの問題が同時に重なっていたからこそ、今でも「本当の破局理由は何だったのか」と語られ続けています。
宮沢りえさんと貴乃花さんは、その後それぞれ別の人生を歩みました。
宮沢りえさんは女優として活動を続け、のちに森田剛さんと再婚しています。
貴乃花さんも横綱として相撲界の頂点に立ち、その後は相撲界を離れて活動しています。
2人は結ばれませんでした。
しかし、19歳と20歳の若い2人が、日本中の期待を背負いながら婚約し、現実の壁にぶつかった出来事として、今も強く記憶されています。

